白湯とお猪口
いつものコーヒーカップに白湯を入れた。
どれに注ぐかを考えずに湯を沸かしたため、手元にあった群青色のカップを手にした。
そこに見えるのは空虚。飲んでいてもぜんぜん楽しくない。別にコーヒーカップが気に入ってないわけではなく、むしろ何年も毎日使っているお気に入りだ。
鉄瓶で白湯を沸かしてないから味気ないのだろうか。でも、自分にとってちょうどいい鉄瓶は、探し始めてから十年以上経ってもまだ見つからない。
松本の古道具屋で見つけた信用金庫の名入り鉄瓶が二千円で、「掘り出し物だ!」と思わず衝動買いしたものの、永遠に取れない錆に負けて処分してしまった。あれからちょうどいい鉄瓶をずっと探しているけれど、どうも見つからないのだ。
ずっと前、スタイリストの高橋みどりさんがどこかで「気に入ったものが見つかるまでは買わない」と言っていた。多少不便があっても構わない、という強い意志。頑固なわたしはその信念に打たれ、今でもそうしている。
たとえば、シリコン素材。お手入れも簡単で調理グッズではよく使われる素材だけれど、ほとんどと言っていいほど持っていない。ゴムっぽい触感がどうも苦手なのだ。洗ってもベタッとしているような質感が好きになれず、いくら便利だと言われようとも家に持ち込まないようにしている。
ただでさえ料理がおっくうなのだから、せめて好きなものだけでチョイスしていればなんとかごはんを作り続けられる。必要に駆られて使うけれど実は気に入らない道具を導入することで、自分のモチベーションを下げるようなことはしたくない。
そんなわけで、実用性や重さ、デザイン、価格などをクリアしたものだけが我が家の料理道具だ。
持病で使いにくい右手に負担をかけないよう、片手で持っても重くないのも大事な条件。とすると、鉄の塊である鉄瓶はそもそも生活にフィットしないかもしれない。でもきっと、いつかちょうどいいモノに出会えると信じている。それは、今までじっと待っていたら思わぬところで運命のツールに出会えてきた経験値があるから待っていられるのだ。
ほわほわと湯気がたちのぼる白湯を、コーヒーカップから磁器のお猪口へ移し替える。多治見の商店街で偶然見つけたデッドストックで数百円のもの。白地に細長い葉っぱが連なったようなデザインが気に入っている。
磁器ならではのつやっとしたテクスチャーに白湯がぬらりとすべり込み、そこに小さな泉ができた。透明な液体の存在感。そうか、お猪口の本来の用途は日本酒を入れるもの。透明が似合うのは当然かもしれない。
あっという間に飲み干してしまうけれど、猫舌のわたしには冷ましながら飲む。お猪口のサイズが小さな口にも合うことに気づく。なにもかもぴったりで、上手くできてるなぁと感心してしまった。
後日のこと。
白湯は沸騰させてもしばらく火をつけたままにし、蒸発させた方がいいと聞いた。確かに沸騰直後にすぐ火を止めて注ぐと、まだカルキくさい。せっかちなわたしはそのままカップへ注いで飲んで不機嫌になりかける。電気ポットを使わず、わざわざガスコンロで沸騰させる手間をかけたのに、最後の一押しで焦って後悔するのはいつも通りといえばそうだ。
苦い経験を思い出し、辛抱して弱火でコトコトと沸騰させ続ける。ぶくぶくと泡が溢れ、それでもしばらく待っていると、小鍋に入れた水かさがかなり減っている。これならもう大丈夫だ。
食器棚からお猪口を出す。カップからお猪口へ移し替えるだけで湯冷しになる。これで5℃ほど下がるらしい。あつあつの鍋からカップへ、そしてお猪口へと旅をかさねた白湯は、少しずつ適温に変化してゆく。
長めに沸かした白湯は、電気ポットで沸騰させた白湯とは比べ物にならないまろやかな味わいになっている。
口につけるとするすると喉を潤し、体全体に温もりが広がった。
■SNSに書かないつぶやき
ある喫茶店の庭の木で蛇が休憩中。「こんな都会に?」と思ったものの、お店の方によれば今季4回目とのこと。近くで見たら意外と目がつぶらでチャーミング。「触っても大丈夫だよ」と促されたものの、そこは聞こえないふりをしました。
■ニュース
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■イベント
※ 延期になっていた対談イベント、9月23日(土)12:30に変更になりました。
(前回予定を合わせてくださっていた方、申し訳ございません……!)
板橋区ときわ台「本屋イトマイ」で、ひらいめぐみさんと対談します。
「書くために、書かなかったことのはなし」
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発行人:チヒロ(かもめと街)
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